2014/03/01

母の命日に想うこと

今日は母の命日である。誠に勝手ながら、母に対する想いを綴らせていただこうと思う。私の母は1998年3月1日、帰らぬ人となった。今日はあいにくの雨天である。十六年前のこの日も、冷たい雨が降っていた。病室には母が傾倒していた弥勒菩薩の写真が飾られていた。貧乳であった母は弥勒菩薩が貧乳であることに大いに興味を持っていたが、周囲に理解されなかったのは言うまでもない。生前は晴れ女で有名だった母の葬儀は、同年3月3日に密葬という形でささやかに行われ(るはずだっ)たのであるが、その動員数は半端なく、また雲ひとつ無い青空であったのには驚かされた。おひな祭りに一人、空へ還っていった母を想い、ここで追悼させていただきたい。

母は西洋医学には大反対であった。がんになっても絶対に病院には行かないと、かねてから宣言していた。もともと持病(→詳しくはこちら)があり、周囲には全く理解されなかった。乳がんに冒されたことを、母は誰にも明かさなかった。突然自然食に傾倒しだした母の異変に、家族は誰も気づかなかった(私は当時勘当されており知る由もなかった)。余命一ヶ月をきった時には母は動くことすらできず、やむなく病院に運ばれたが、既に手遅れであったと聞いている。母は生前、医師に「手遅れである」と宣告されることを何よりも恐れていた。乳がんはがんの中では比較的予後が良いとされている。早期発見で完治する例が多い。母はまだ若かったので、進行が早かったのだ。西洋医学の権威である私の父親は、母の死は自殺であったと解釈し、手遅れになるまで放置した責任を感じて抑うつ状態に陥った。我が家は絶望的状況となった。母の死に顔が優しかったことだけが救いであった。

母はがんの自然療法を望んでいた。死後に知った。私が医療大麻に興味を抱いたきっかけのひとつに、母の死があった。あれだけ治療を拒んでいた母が、病室でモルヒネを投与され、真っ青な顔で微笑んでいた。その姿が目に焼きついて離れない。それが生前の母に会った最後となった。だから末期がんに苦しむ方のご家族様のお話を聞くと他人事とは思えない。もし医療大麻が日本でも合法的に使用できたなら(もちろん、大麻が非合法である現状では決して許されることではないけれども)せめて大麻という選択肢もあるということを、病床の母に伝えたかったと悔やんでいる。

母は晩年、夢だった教員の仕事に復帰した。心臓病で早世した母の父親は教員だったからその影響があったのだろう。母はクレイジーな先生として一部で話題となった。なんでも、赴任先の進学校の3年生が授業を聞かないことに腹を立て、ディズニー映画「ファンタジア」(ドラッグムービーの原点とされている)を授業の一環として堂々と上映してしまったという。非常勤講師でありながら、当時の生徒さんが今も母の存在を鮮烈に覚えていてくださっていて、その死を悼んでいる。正直なところ私には理解できない。母の教え子たちは出世し、立派になっているという。母が聞いたらどんなに喜ぶだろう。母同様、尊厳死を望む末期がん患者の皆様には、母の無念を晴らしていただきたいとせつに願う。

最後に、生前母が好んで聴いていた荒井由実さんの「ひこうき雲」をここに引用させていただく。


http://usakoff.tumblr.com/post/102980985948/arai-yumi-hikouki-gumo-1973